その2 消しゴムハウスで育ちました。
「消しゴムハウス」と名付けている。
僕の実家の名前である。
東京の大学に進学するまでの18年間、鳥取県の片田舎に住んでいた。
祖父の屋敷のような家の隅っこに猫の額ほどの土地があり、
そこにむりやり家を建てたら、こんな形になりました。といった具合でできたのが、
僕が育った「消しゴムハウス」である。
白い外観で、細長い3階建ての建物なので、
遠くから見ると、消しゴムを立てたような形に見える。
大きな文字で「MONO」と書いたら、もう消しゴムにしか見えなくなってしまいそうな家である。
自分の意思とは関係なく、僕は大学生になるまで、そこで暮らすことになった。
1階にお風呂とトイレ、2階にリビングと親の寝室、3階が子ども(自分と兄)の部屋という感じで、細長い消しゴムの中に、効率よく必要な部屋が収まっていた。
夕食は、母屋と呼ばれる祖父の屋敷で食べていた。
祖父母も加わり6人で食卓を囲み、「今年の冬は寒くなりそうだ」とか、
「庭のゆずを取って今日は風呂に入れよう」とか、たわいもない話をしながら食事を食べ、その後、母と僕と兄は、そろそろと消しゴムの巣穴に帰っていった。
父は、毎晩飲みに出かけていた。
物心ついた時からそれが当たり前だったので、
特になんの疑問を持つことなく育っていったのだが、
ある時、ふと考えたことがある。
自分にとって、「団欒」という言葉で最初に思い浮かぶ景色はどこだろう?
それが、母屋でみんなで囲んでいる夕食の景色だったのである。
自分が住んでいたのは消しゴムハウスなのに、1mmも思い浮かんでこなかった。
消しゴムハウスにも、リビングはある。
あるのだけれど、8畳くらいの細長い形状で、奥の部屋への通路になっているし、
なんだか、落ち着かない空間だったので、そこで家族が団欒するという文化が生まれなかった。
そんな僕が、家庭を持ち、家を持つことになった。
家のデザインや間取りを考えている時に、
その自分が過ごした鳥取県での生活を思い返し、決めたことがある。
「団欒」という言葉で、家族全員が、一番最初に思いつくリビングにしようと。
家族というのは社会の最小単位だ。
結婚をし、子供ができ、ひとつの「小さな社会」が生まれた。
そして、これからその新しい「社会の文化」を何十年という時間の中で築こうとしている。
その時に、家というのは、何か?
家=文化を育むためのインフラである、と思うのです。
僕の幼少期の場合は、そのインフラが、あまりに消しゴムだったので、
結局、「団欒」という文化は、他所でつくるしかなかった。
だからこそ、自分がつくる家族という社会においては、
その社会の誰もが集えて、まっすぐ幸せになれるお家にしたいと強く思ったのでした。