インテリア訪ねあるき2

展示室の東側には、展示する絵を入れておく部屋があります。

東側の2連の上げ下げ窓は入り口の真上で外観のポイントになっています。

木目の美しい無垢材をふんだんに使った建具。さりげなくかかる書も櫻谷のすばらしいコレクションのひとつ。

作り付けの収納が設置され、扉には小さな蕨の絵が見えます。もちろん櫻谷の直筆。

おしゃれな引き手と蕨の絵。

黒く見える床は天然リノリウム。展示室も元は同じ仕上げでした。

住まいとして使われていた和館。

玄関は広めに作られています。来客や門弟の出入りが多かったためでしょう。

1階の座敷。櫻谷はこの部屋で来客と応接していたということです。床の間のデザインが斬新です。

仏間の欄間は東山三十六峰の稜線を表現。元は廊下がなく座敷が続いていたので、よりくっきりと見えたでしょう。

和館の2階は、櫻谷が亡くなった昭和13年に閉じられて以来、70年間時が止まったままでした。

1階は昭和40年まで櫻谷夫人が暮らしておられました。湯沸かし器は昭和30年代に取り付けられたもの。

かめの中には、まだ食べられそうな梅干が残されていました。奥に見えるのは絵の具のビン。

2階は座敷が連なり、四方に大きく窓が開けられます。2年前に開けられ、畳と襖を入れ替えた以外は70年前のままだそうです。

別棟の80畳の画室は京都市の子供図書館だった時期もあり、今も文化教室などに利用されています。

2階建てのように見えますが平屋です。ここで門弟たちへの講義も行われました。石やいろいろな種類の樹木は、ここが池のある庭だったことを忍ばせます。

80畳の大空間を支えるための補強の柱。

表通りから見た旧木島櫻谷邸。昭和15年に櫻谷の作品と収集物の研究、維持管理のために財団法人「櫻谷文庫」設立。現在は建物も含め公益財団法人への移行申請中です。

京都市の文化財特別公開で、今年初めて公開された旧木島櫻谷邸はいかがでしたでしょうか。
落ち着いた和館に比べてちょっと不思議な空間の洋館。西洋建築の技術者による建築ではないだけに、
これほど早い時期(大正2年・1913年)に大正モダン建築を先駆けた画家の感性に驚かされました。

取材協力

(2012.12.07更新)

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