ずぼらなもんですからね…(笑)。僕は昭和18年の生まれで、しかも山口の瀬戸内の育ちなもので、瀬戸内海がいちばん海らしくて、魚は魚の味がして、農薬のない田や畑があって…、そういう環境で育って来たたぶん最後の世代だと思うんですよ。小学3年生の頃までは井戸水だったんです。当然電気釜も洗濯機もありません。へっついさんに釜を据えて、燃料は裏山に行って薪と松かさをかついで帰って来て、それで斧で割ってと、それこそ何時代やねん?というような生活をしてたんですね。その昭和の戦前戦後の差もないような、たぶんそういう生活をしていた世代なんで、右肩上がりの経済成長っていうのは、どっか…、もちろん便利なんですけどね、合わんのですよ。車も好きなんですよ。乗ってるんですけど、なんか違うよなあっていうね(笑)。もう大阪に出て来て40年以上にもなるのに、なんかそういうのが合わないということがあります。
何かやってるかって言われると… 食事の時以外はね、家の中は暗くていいんですよ。いま街の中も家も明る過ぎて闇がないですね。闇の方が色んなこと考えたり想像が膨らんだりするじゃないですか。そういうところ、ラジオや音の世界とちょっと似てるとこがあって。やっぱり人間そのものがアナログなんでしょうね(笑)。
だから10年前からね、…失礼、あのこれもまた大上段に振りかぶった言い方なんですけど、バック・トゥ・シックスティーズって言ってて、要するに60年代に帰ろうやって。戦前や終戦直後にはもう帰れませんけど、60年代っていうと、東京オリンピックから万博ぐらいまでの10年くらいなんですよね。昭和35、6年から44、5年くらいまでの。それくらいまでの経済成長が、もちろん車もあるし、電化製品もぼちぼちあるし、その頃のエネルギーの使い方に戻ったぐらいがちょうどいいんじゃないか。そういう暮らし方を心がけたいなあと。
環境に関しては琵琶湖です。いまの滋賀県の嘉田知事が琵琶湖博物館の研究顧問になられた時に取材をして聞かせてもらったんですが、琵琶湖って大小いくつの川が流れ込んでると思います? 支流も含めたらなんと200以上、名前もついていないようなものも加えると一説には400とも言われている。それだけの河川が流れて、あの琵琶湖が成り立っているというわけです。
でも昭和30年代の後半までは「栄養のない湖」として、フナとモロコとか、魚では10種類前後が生息しているだけで、それ以上には増えないだろうと言われていたんです。地域の集落では江戸時代から水をどう配分するか、あるいは大雨になった時には水をどこまで流してどこで塞き止めるかっていう、そういう記録が全部残ってて、嘉田さんたちはそれを調べて来られた。
たとえば、小川には堰をする。で、雨が降ってここが溢れるという時にその堰を外すんです。当時は水係の長(おさ)というのがどこの地区にもいて、その長が堰を外す時には雨の中を裃(かみしも)を着けて、正装で行って外すんです。それぐらい、自分たちの水を自分たちでちゃんと管理して、自分たちのものにしていたと。
だから琵琶湖のまわりの人は台所でお米を研いだり、野菜を洗ったりした時に、出した水をけっして川や琵琶湖には流さないんですよ。貯水槽っていうのがあって、必ずそこに貯めるんです。で、そこに貯まったものは畑に撒く。もちろん糞尿の汚水も川や湖には絶対に流さない。貯めて畑に持って行く…そういうのをずっとやってはった。
ところが、昭和30年代になると洗濯機がぼちぼちと出始めてくる。そうすると大量の排水を川に流し始めるわけです。下水道事業が始まるのは昭和40年代も後半になってからだから。それであっという間に琵琶湖が洗剤の泡だらけになるわけですよ。そして、ついに昭和52年には赤潮が発生するんですね。琵琶湖にね。
ということは、昭和35、6年くらいまでは「栄養のない湖」って言われてたところが、今度は富栄養化の問題が起こってくるわけです。それまで何百年も水の管理ということを繰り返していた琵琶湖が、あっという間にこういうことになってしまったんだという話なんです。
それはもう、瀬戸内海も琵琶湖もそうなんですけど、戻って来ない。
右肩上がりの経済成長とともに、僕らが24時間コンビニで買い物ができ、旬以外の食品を年中買って食べられるような生活をできるようになったのと引き換えに、農薬と汚染の中で生きて行くようになって、それは実はアトピーや皮膚炎、花粉症になるということの引き換えだったわけですよね。
だから、いまさら水道を井戸水に代えて、農薬をやめて、24時間の生活をやめなさいって言っても無理なので、せめて農薬と洗濯機の洗剤で汚れるちょっと前ぐらいのところに帰られればなあと思いましたね。
琵琶湖の話はほんとにビックリしました。日本の環境汚染の、その現況って言うか、琵琶湖を見れば日本のまわりの環境がすべてわかるみたいなことで。
別にそんなたいそうなことではなくて、この近畿一円のリスナーの方は生活文化の色んな情報や根ざしたものって、どこの地方にもあるんでしょうけど、とくに京都や奈良や大阪はずっと受け継がれて来てる気がする。そういうものを大事に発信して行きたいなあって思ってます。
普通のこととか、普通の暮らしの中で積み重ねられて来たものっていうのがいちばん大事にされないと、それは、エコではないと思うんです。情報に限ったことではないです。なんかどうしても便利で、すぐゴミになったり捨ててしまったりするものに飛びついてしまう。でもそういうものばかりがどんどん増えて来た時代を反省する時期になったんやないかなと思います。それはもう株とかお金のことだけではなくて、バブルはいろんな意味で弾けたと思うんですよ。便利さのバブルも弾けたと思うんです。
だからちょっと不便でも、普通の暮らしの中に「地に足着けて暮らして行く日本人」ていうのを考える時代になったんじゃないかと思うんですけどね。どんだけ畳の部屋が減っても、ベッドで生活をしても、日本人が靴で家の中に上がらない以上は、(日本人本来の良さは)絶対変わらないです。
このインタビューは10月1日、朝日放送本社にておこなわれました。道上さんの生の語り口を再現できるよう、口語表現もあえてそのまま表記しています。